【物乞いについて考えたあの日】価値とは?お金を貰うとは?

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gagayuta1990

NEXTTRANSIT運営代表/VRトラベラー/サイクルトラベラー make hub airport −誰もが人生の目的に向かっていく中継地点を創ろう −をテーマに、場所や環境に依存せずやりたいことをしている人や手法を紹介するメディア「 NEXTTRANSIT」、このブログである「ガアガアトラベル」を運営しています。自転車インスタグラマー。愛称:ガアガア

価値とは?お金を貰うとは?

沢木耕太郎さんの「深夜特急」を読み返している。この本はバックパッカーのバイブルとも言われるような本だ。

特に3巻はインドでの内容を綴っている。ブッダガヤ(ブッダが悟りを開いた場所)のシーンでこんな一節がある。

“この静かな村にも、当然のことながら貧しさがあり、老いがあり、病がある。皮肉なことに、ブッタが悟りを開いたこの村は、天然痘の最流行地だった。”

これは、私が行った5年前よりももっと昔の話である。そして5年経った今は状況が違うのかもしれない。しかし私がいった当時のブッダガヤも、インドでは物乞いの質が悪く貧しい地域だった。

■インドでの物乞い

物乞いは、インドには多い。

今は減ったらしいが。それはバクシーの教えというのがヒンドゥーにはあるからだ。ヒンドゥー教は輪廻転生である。現世で犯した罪は、消えることなく来世に響くと言われている。そのため、貧しい人に自分の富を分け与える行為は、自分を清らかにするものだとされている。

だから物乞いにお金をあげることは、良いことであり、お金が手に入るとインド人がバクシー(施し)を渡す。観光客だけでないから街に物乞いが溢れる。その中心になる思想がある。

■ブッダガヤの物乞いはしつこい

私が行った当時、ブッダガヤは非常に貧しいように思えた。物乞いの数が多いからではなく住居の質や、無理矢理でもお金を貰おうとする姿勢が強かったからである。

■その中で出会った女の子

ブッダが苦行をしたという場所へは歩いていかなければならなかった。その道中も物乞いからお金をせびられたが1人の女の子はお金を求めるでなく、きゃっきゃ言いながら一緒に歩いていた。

微笑ましく思った。

最後の別れ際、彼女は楽しんだでしょ?だからお金を頂戴!と言ってきた。

– 微笑ましくは思っていた。

ただ、なにかを楽しませて貰ったわけではなかった。

【物乞いにお金を渡したことはある】

数え切れない数の物乞いがいたインド。その中でもお金を渡したことがある人はいる。

1人は、足と手が一つしかなくて。それでもずっと笑顔でこちらも見つめて【ありがとう】と言っている男性だった。

もう1人は、小さな妹を抱きかかえた少女だった。彼女は駅のホームで電車を待っているときに出会った。確かアメか何かをあげたとき、妹にその飴を迷いもせずに渡して【ありがとう】といってきた子だった。

2人に、勇気を貰った。だからお金を【払いたい】と思ったんだ。

微笑ましく思っても何かを貰えたわけじゃない。

求められてないけれど貰えたものが大きいからそこに【勇気】や感情を動かす情感を得たのだと思う。

■無理に相手の感情を動かそうとする行為は本来の価値だろうか?

怒ったり、騙したり。相手の感情を逆手に取って価値をつくる人がいる。

それは、ビジネスという世界では通用してしまう。お金が渡されてしまえば同じことなのだから。

しかし、そのお金【払う側】は良かったと思えますか?

そして【受けて側】は、それを心から嬉しいと思えますか?

資本主義の社会においてお金が舞い込む原理が誰かの不幸や、嫌な気持ちの上に成り立つのであれば、そのシステムは本当に正しいのだろうかと感じる。

対価が少なくても、自分も相手も。

幸せに溢れている【お金】

それが一番価値があり、その場での評価ではなく未来の評価が高くなるものだと思う。

相手に押し付ける経済ではなく、相手から渡したくなるような幸せに満ちたお金の回り。

■それが本来の感謝=対価

じゃないかな。










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